・存在者の運動
 
先人の著作より抜粋。

【存在者の運動は、存在者が廃棄され、自分だけでの存在
〔対自存在、自独存在〕に達するということであるから、
死は分裂の側面であり、そこでは、到達した自分だけでの存在は、
運動のなかに入っていった存在者とは、別のものであることになる。】

文面と表現法は違っても、前項拙文「私と木」とこの文の考察対象は違わない。

普遍的な事に向かって歩んで行くならば、時代も国も越え、
その普遍性ゆえ、誰もが同じものを見る事になるのだ。
 
・私と木
 
めぶいては枯れゆく葉と、うまれては朽ちゆくこの身体、

いったい何が違うのであろうか。

人生の四季に移ろいゆく、葉という自分を、私は幹から眺めている。

風に飛びゆく儚い葉っぱ。 

青葉で散るも、枯れ葉で散るも、一巡した四季に元の葉は無し。

私の葉、散り際を想って待つのもまた一興。
 
渋谷と尺八
渋谷区にて演奏。

駅前の像の様子。
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ジュースを飲んでいた形跡がある。 人目を忍んで動いているのかも。
新宿と尺八
新宿にて入江要介ライブの演奏。

周辺の街並みの様子。
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普段から聞き込んで下さっている方。初めて聞いていただく方。
興味を持って下さる方と共有する時間はいつでも幸せです。