・英雄になった賢人はいない
賢人がまた一人逝った。

彼がぽつりと呟いた言葉は今も耳に残っている。
「まともに考えてる人間の方が窮屈で発言できない世の中 」。
そう、大昔からの思索者達と同じボヤきである。

10年前、私がこのブログの第一回目に記した記事を以下に引用する。

・考える異端者

智慧ある者や天才達にとって、
世間と折り合いをつけて暮らすのは苦労を要する事だろう。

ある西洋人は、発言ひとつ間違えれば処刑されてしまうような時代に生まれた。
彼は何年もかけて辿り着いた正しい考えを発表するため、
権力に睨まれぬよう苦心し、細心の注意を払って活動した。

ある東洋人は金のある社会的地位の高い環境に生まれた。
彼はそれに価値を見出すことはなく、
乞食となって煩わしい社会から離脱して修行を積んだ。

うまく立ち回る事が出来ず、もしくは立ち回る気など無いがゆえに、
虐げられ、殺され、社会から強制排除された天才達の数は知れない。

そして今日もまた、智慧者達は、
この現代社会となんとか折り合いを付けて暮らしているのであろう。
自分より遥かに優れているであろう彼等の考えを、
聞いてみたいものだと思うのであった。

以上引用。2008年 入江要介ブログより。

10年経った所で思索者と世俗の関係は何も変わっていない事がよくわかる。
10年どころか2500年くらいのあいだ大して変わってないのだから、
そんなものは、まばたきの如き一瞬の歳月であろう。

いつの世も社会と思索者は相容れ難い。
偽りの言葉はきらびやかで聞こえが良いが、本当の言葉は非情である。

人はどれだけ目を背けたくても、
思索者の智慧の前に本当の言葉を突きつけられてしまうのだ。

たとえ偽りでも、耳当たりのいい言葉を聞いていたい。
本当の事など、見たくない、聞きたくない、知りたくない。
だから人は思索者を攻撃し、排除し、殺すのだ。

中には学者として現代の社会的地位と発言力を得た彼のように、
器用さと才能を備えた賢人もたびたび現れる。
だがそんな彼でさえ、こんにち、この通りのボヤきである。

それほど人々の耳に届かないはずの思索者の言葉が、
なぜ、歴史から消えず、忘れ去られず、何千年も残り続けているのか。
それは、普遍の境地から発された正しい言葉だからに他ならない。

感情を掻き立てる強い言葉を巧みに駆使する英雄は、
人々を熱狂させる事ができる。だがそれは吐いては消える泡のようだ。
どんなに強い言葉でもそこに智慧や閃きが無ければ、
やがて忘れられ歴史から消え去るだろう。

人を沸かせる言葉はいつの時代も世間に多く氾濫している。
まばたきの如き、たったこの10年でさえ、日々現れてはブクブクと消えていった。

英雄になった賢人はいない。
静かなる賢人の言葉は、いつの世もほとんどの民衆に届かなければ
熱狂される事もない。

だが決して歴史から消え去る事がない。その時代を生きる者の中に、
その言葉の価値を知っている思索者達が必ずいるからだ。

表面からは見えぬ地中の水脈のように、普遍の言葉の澄んだ美しき流水は、
人知れず2500年、いやそれ以上遥か悠久の古来から、
こんこんと静かに人類を流れ続けている。