・出発点への到達
梵について、古代人がその境地に立つ時に言う。
至高の到達、だの 、真の自由、だの、永遠の至福、だのと。

大仰な言葉を授けられた時、言われた側はまるで、
大層な事を成し遂げたかのように錯覚して勘違いしないだろうか。
その境地を得たら、もはやまるで、完成して極めて、あがりのようである。

2800年ほど前、同じく彼らの時代の書にこのような記述がある。
- 汝にして梵をよく知れりと思わば、必ずやその少分を知るに過ぎ去らん。
- 我は我善く知れりと信ぜず、されど我は知らずと知るにも非ず。

そう言うならば、彼らもまた勘付いているはずだ。

まだ完全に知りつくしてはいない事を、至高の到達と言えるだろうか。
いや、言えない。

それを観た事はあるが実態は知らない、それを至高の到達と言えるだろうか。
いや、言えない。

至高の到達でないならば、その境地を私はこう言いたい。
出発点への到達と。


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