・百害あって一利あり
山で静かに暮らす思索者が、ことわりの智慧を得た時、
それを伝えず残さず、あえて一切黙る、という事は、
ひとつの処世の策としてあり得る。

町に降り、人々の前で不用意にその智慧を口にすれば、
彼は民衆から、たちまち百本もの矢をその身に射られるだろう。

彼が沈黙していたなら民衆は彼の存在に気が付かない。
彼が民衆のふりをして世間話をしていたなら、
民衆は彼を他の民衆と見分ける事が出来ない。

彼が得た智慧を、
素養ある次なる者に伝えるにはどうすればいいのだろうか。

民衆にバレないよう、わざと難解に、煙の中に隠しながら、
わかる者にだけ届く言い回しで述べるのはどうか。
たがこれは加減を間違えると、
わかる者にさえ煙の中から見つけ出せなくなる事もある。

ならば民衆の前で声をあげ、正面から百本の矢を浴び、
満身創痍になろうとも、そこに血の海ができようとも、
まだ声をあげて伝え続ける。

一本耐え、二本耐え、百本射られるまでに、
民衆の中の一人くらいには、もしかしたら智慧が届くかもしれない。

しかし、そんな痛みと苦労を、
誰がわざわざ背負いたいというのだろうか。

智慧をおおやけに口にする事は
百害あって一利得られるかどうかの事。
伝えたい、その一利の為に
百害をその身に引き受ける覚悟が必要だ。

ならば、黙ってしまえばいい。

生も死も超え天地が反転するほどの驚くべき智慧を得たとしても、
何も知らないふりをして、自分だけの秘密にしてしまえばいい。
誰一人にも伝えず墓まで持ち込んでしまえばいい。

聞く耳を持たず、それどころか矢を向けてくる民衆に、
そんな大事な事は教えてやらなくても良い、
という考え方もひとつの策としてあり得る。

今日も思索者は民衆の中に溶けこみ、
何も知らないふりを決め込んで、巧みに世間話をしている事だろう。


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