・アルテミス神殿にて

アルテミス神殿にきらめく朝露の中、
潤う冷気に触れながら、残骸となった石の上で賽を転がす戯れのひととき。

2500年前はこの石もまた荘厳な神殿の一部を成していたのだろう。
崩れ去った石柱、湧きいで苔むす緑がたたえる静けさに耳を澄ますと、
滅びと生成、流転する万物の運動を意識は観察し始めざるをえない。

壊れ、生まれる物質の現象から徐々に抽象の空を見上げると、
その運動自身を私は観察し始めている。

その時、入江要介は無く、私と運動が在った。

しばらくしてふと気が付くと、ここはアルテミス神殿であった。
そう、この場所がどこであるのか、
気が付かなければ忘れる程どうでも良い事であった。

場所を神格化し、ごっこ遊びをするのも楽しいが、
表面だけをなぞる行為は決して戯れの域を出ないのは当然である。

運動は現象として物質に表れる。だが運動そのものは物質ではない。
地球上のどこに立てば流転運動それ自体がこの眼球に映るのか。
そんな場所などありえるはずが無い。

何処に立とうと同じ事。眼を瞑ればいつも遍在するそれを観る事ができよう。
思惟で歩んだその場所で、感受し観た景観こそ賢人もまた観た景観であるはずだ。

抽象の空から目を戻すと、冷たく輝く朝露は、透き通る日の光に消えていった。
 



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